3章賢人による新しいアイデア
2000年の終わり頃には大きな成功を収めたソフトウェア開発者は気づいていた。ソフトウェア開発プロセスには、余計なものはないほうがよいのだと。彼らは、それぞれに異なる方法をとりながら、ソフトウェア開発のための軽量なプロセスを探し出そうとしていた。当初それを「軽量ソフトウェア開発プロセス」と呼んでいたが、真剣に受け止められないかもしれないと恐れ、「アジャイルソフトウェア開発プロセス」と改名した。
アジャイルの「祖父」はエドワード・デミングとリーンの概念だと言うのが正しいかもしれないが、メアリー・ポッペンディークがソフトウェア開発にリーンの原則を持ち込んだのはアジャイル以降である。アジャイルの背後にあるエクストリームプログラミング(XP)の哲学を礎にして、ケン・シュエイバーとマイク・ビードルは『アジャイルソフトウェア開発スクラム』[1]を書いた。チームがより早く自らの現場でエクストリームプログラミングを導入できるようにしたのだ。
これらはすべて正しい方向に向かうための歩みであり、CHAOSレポートなどで目にするようにソフトウェア業界に蔓延した非効率との闘いの始まりでもあった。しかし15年経った今、当時、賢人たちがなぜ漸進的に改善を重ねるしかなかったのか、それをどのようにやったのかを知ることで、この「新しい」考え方をじっくり見ていく必要がある。
3.1 アジャイルに入門する
有名な統計学者であるエドワード・デミングが日本に行ったのは1950年のことだった。想像できるだろう。彼が見たのはボロボロになった国だった。第二次世界大戦が終わってたかだか5年、日本のインフラはまだボロボロだった。日本再建はよくいえば難しい闘い、悪くいえば不可能な夢だった。彼はもともと日本の国勢調査に協力するために派遣されたチームの一員であったが、トップエンジニアやマネージャーたちと共に、国の経済や産業を単に戦前のレベルに立て直すためだけではなく、誰も想像し得なかった方法で活性化するために働くようになった。ほかの誰よりもエドワード・デミングは日本の戦後における奇跡的な高度経済成長に責任を負っていたのだ。 ...
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