序文
本書の最終稿を受け取ったとき、まず最初に私が驚いたのは、アジャイルソフトウェア開発について全く語られていないということだった。Michaelと私は、何年も前から本書に関する雑談をしてきた。そのため、私はこの本が何について書かれた本で、なぜ書かれたのかを、わかっていると思っていた。これまで言われてきたように、ソフトウェアアーキテクチャの考えはアジャイルなプロセスでは扱いづらいものだったが、Michaelはそれをうまく扱う方法を見つけ出したのだ。本書が書かれた理由はそこにあると私は考えていた。では、なぜ本書は「アジャイル」という言葉で埋め尽くされていないのだろうか?
Michaelは現代のプロメテウスだ。プロメテウスは、技術に魅せられ、それを全人類に与える決断をした神だ。Michaelはアジャイルの恩恵を固く信じているし、ソフトウェアアーキテクチャのエキスパートでもある。彼は、昼間はアジャイルチームのリーダーとしてしっかりとやるべきことをやり、夜にはカーネギーメロン大学でソフトウェアアーキテクチャを専攻する学生を指導する人物だ。私はそんな人物を他に知らない。彼のことは、SATURNソフトウェアアーキテクチャカンファレンスへの関わりを通じて最もよく知っている。彼はカンファレンスにアジャイルコミュニティから考えや思想的リーダー達を迎え入れ、アーキテクチャコミュニティとの交流をもたらしている。Michaelは、水と油のようにならない、アジャイルとアーキテクチャ両方の一番良いところを組み合わせる方法を探し求めているのだ。
両者の違いを調和しようとする試みは他にもあるが、それらはすべて限定的なものだ。初期には、ウォーターフォールの実装フェーズにアジャイルを無理矢理押し込もうという試みがあった。他にも、いまだに偉いアーキテクトがいて重要な意思決定をしている、という前提のものもあった。それらのほとんどは、うまくいった事例ではなく理論に基づいており、片方のことしか知らない著者が、もう一方の考えを取り込もうとして書かれていた。 ...
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