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章 ソフトウェア工学を質的手法で理解する
けて議論することは、学問的な著述では普通です。しかし、クヌースは論文全体を通じてこの両者を一
緒にして、
TeX
にあったバグの記述と自分の観察の帰結の双方を書き綴っています。たとえば、分類「驚
き」(クヌースはこれを「全体的な誤解」と説明しています)に属するエラーについて魅力的な話を並べた
後で、彼は次のように述べています。
この経験は、すべてのソフトウェアシステムが、想像し得る最悪に卑しくて汚い拷問テストの対象
となるべきだ、ということを示唆しています。もしそうしないなら、そのコードが大規模アプリケー
ションの中で満足に足る結果を何年にも渡って出し続けたあとでバグを披露することは、ほぼ確実
でしょう。
結果とその帰結がくっついて提示されると、それら
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つが別個のもので、独立に評価されるべきもの
だということを忘れそうになります。ここに引用した帰結に至らしめたクヌースのできごとに対する記
憶を私は信頼しますが、そ
れはクヌースがこれらのできごとを記録する手順を説明しているからです。
しかしそれにしても、クヌースは自分のアドバイスをまとめる際に、それらのできごとを自ら解釈し過
ぎていると考えます。クヌースが拷問テストにそれほど多くの時間を費やしたとしたら、彼は
TeX
を
完成させ得たでしょうか?
私は彼の日記調査は信頼しますが、彼が帰結としてまとめているアドバイ
スについては疑問を持っています。
もちろん、あらゆる質的研究に限界があることの再確認も大切ですが、一方で多くの質的研究は価値 ...